2014/06/30

御射山神戸の一里塚

中央自動車道諏訪南 IC からほど近い国道 20 号脇の道沿いに残る一里塚。

かつての甲州街道の 48 里 (49 里目との説あり) 目のものであり、見事な巨木と共に今なお残されている貴重なもの。具体的な場所は最下段の地図へのリンクで確認願いたい。

この道が甲州街道だった頃はどのような眺めだったのだろうか。

2014/06/23

今日の復興支援 2014/06/22

相変わらず安定したささやかさで続ける(自称)復興支援である。先日真澄の大吟醸と共にうなぎの白焼きを頂いた丸高蔵にて看過できない逸品が売るほど置いてあるのを見つけた。
三陸産の鯖のみを用い、丸高味噌の『信濃路』という味噌で八戸で味噌漬けに加工したものである。ありがたいことにうなぎの白焼きを頂いている際に試食を勧められたが、これがまためっちゃ美味かったのである。
もっといっぱい買って帰ればよかった。真っ昼間から真澄を飲んで頭が回っていなかったようだ(笑)。
と思って今確認したら丸高蔵のオンラインショップで購入可能だった ! 鯖缶 Yes!

今日の旧立場川橋梁 2014/06/22


現在線の立場川橋梁の耐震補強工事に伴いかつての定点撮影ポイントは立ち入れなくなっており、しかも眼前の田んぼも潰されアスファルトで舗装されてしまっている。
橋脚には何やらタワーが横付けされ、ゴンドラのようなものが上下に移動可能な構造になっているようだ。
そして、やはり旧立場川橋梁の鉄骨の繊細さはいつ見ても目を見張るものがある(写真は真っ黒だが)。
久しぶりにこちらからの眺めも一枚。ちなみに、昨シーズンの大雪の時と比較して頂きたい。

2014/06/13

今日の環状 2 号線 2014/06/13

虎ノ門ヒルズがオープンしたので、築地虎ノ門トンネルの虎ノ門口上部からの眺め。

ビルの中の店はシャレオツ過ぎるので調査する気無し。

2014/06/12

今日のはたらくくるま 2014/06/07

先日宮古を訪れた際に国道 45 号のあの焼きおにぎり現状確認の際に見かけた。もちろん、復興道路と位置づけられた三陸沿岸道路(三陸自動車道)である。

ここは宮古市田老樫内地区であるが、このような工事が沿岸部の至るところでまさに怒涛の勢いで始まっている。道路建設は復興の力強い牽引役となるだろう。今後の進展に期待したい。

ちなみに、これらの機能美に溢れたマシン達はユンボ以外さっぱり分からないが、突撃間近なのだろうか。働いている姿を見てみたい。なかなか見れない光景だけに、この場所は素晴らしい見学場所と言えよう。


2014/06/10

JR 東日本岩泉線跡【旧押角隧道】

奇跡の赤字ローカル線としてその名を馳せた JR 東日本岩泉線は 1942 年の開業から 68 年後の 2010/07/31 の土砂崩れによる運休を経て 2014/04/01 付けでそのまま廃止となり、その 72 年に渡る歴史に幕を閉じた。

宮古周辺をこよなく愛する者として極めて残念無念である。

先日、震災後二回目で三年ぶりの宮古訪問が趣味界隈の友人達の企画により実現の運びとなったため、岩泉線も久しぶりに訪れることが出来た。

岩泉線の鉄道構造物の中で最大と言える押角隧道は近い将来に平行する国道 340 号の押角峠越えのパイパス路として道路化される方針が決定していることもあり、岩泉線の香りが残る今のうちに訪れたかったのである。

しかし、現実は想像以上に厳しいものであった。押角隧道の北口坑口付近において土砂崩れが発生しており隧道に近づくことは叶わなかった。以下特記無き限り 2014/06/07 撮影。
画面左側には沢が斜面を伝っていたが、どうやらそこが崩れたようだ。
さらに驚いたことに、6 月上旬というのに、線路の上に堆積しているのは主に雪であった。沢のある斜面側から線路上を見下ろしているが、沢を越える小橋梁の上に雪がてんこ盛りである。

斜面の反対側は川となっており、線路全体に雪が堆積していたため、これ以上進むことは危険であった。
この先に目指す押角隧道は存在するものの、目の前で指を咥えて眺めることしか出来なかった。
実は隧道脇には小さな滝もあり、周囲の森の眺めと相まって大自然を満喫できる雰囲気であった。当ブログの写真は全てそうであるが、特に次の写真は無駄にでかいのでぜひクリックしてご覧頂きたい。あまり大きい声では言えないが 2007/09/24 撮影である。

土砂崩れが発生しているものの、堆積している雪が溶けて無くなれば再びこの眺めを見れるはずである。道路化前にぜひとも再訪したい。道路化にあたってはこの滝もどうなるか少々不安に感じる。
南口坑口は特段異常も無く無事であった。ただしレールは錆つき、路盤上には草が生え廃止の現実をまざまざと意識させられた。今回は坑口までは近づかず手前の堺の上踏切から眺めるだけにとどめた。
ちなみに、かつてはこのような光景であった。2007/09/24 撮影。
もともと路線としての計画は古くからあったものの第二次大戦時に戦時物資であった耐火煉瓦の原料である耐火粘土が沿線で産出されていため貨物線として建設が始まり、順次線路を伸ばしていったものの当初計画の終点まで到達出来ないままに盲腸線として屈指の閑散路線となり、土砂崩れを経てお別れのセレモニーの無くそのまま廃止という涙無くては語れない数奇な生涯を過ごした路線であった。

東京なんぞに住んでいる者なので地域の交通機関としてどうこう言える立場では無いが、地域の発展に寄与してきた鉄路が失われるのは誠に寂しい限りである。せめて道路化前に必ずや再訪し岩泉線としての鉄道の痕跡をこの目に焼き付けたい。

現役当時と今回の訪問時の様子はいずれ GNR にて紹介したい。いつかきっと...

最後に今回の訪問を実現してくれた皆様には感謝に堪えない。ただの酔っ払いとして同行させて頂いたが忘れられない貴重な時間を過ごせたことに感激することしきりである。ありがとうございました。

2014/06/06

今日のラーメニング 2014/06/06

岩手県宮古市多良福『ラーメン』。三年ぶりの宮古の味。旨い。

今日の駅うどん 2014/06/06

JR 東日本山田線宮古駅。玉子うどん。相変わらず旨い。実に三年ぶりである。鬼のように感慨深い。宮古駅もいろいろ変わっていた。灰皿コーナーも無くなってた(泣)。