奇跡の赤字ローカル線としてその名を馳せた JR 東日本岩泉線は 1942 年の開業から 68 年後の 2010/07/31 の土砂崩れによる運休を経て 2014/04/01 付けでそのまま廃止となり、その 72 年に渡る歴史に幕を閉じた。
宮古周辺をこよなく愛する者として極めて残念無念である。
先日、震災後二回目で三年ぶりの宮古訪問が趣味界隈の友人達の企画により実現の運びとなったため、岩泉線も久しぶりに訪れることが出来た。
岩泉線の鉄道構造物の中で最大と言える押角隧道は近い将来に平行する国道 340 号の押角峠越えのパイパス路として道路化される方針が決定していることもあり、岩泉線の香りが残る今のうちに訪れたかったのである。
しかし、現実は想像以上に厳しいものであった。押角隧道の北口坑口付近において土砂崩れが発生しており隧道に近づくことは叶わなかった。以下特記無き限り 2014/06/07 撮影。
画面左側には沢が斜面を伝っていたが、どうやらそこが崩れたようだ。
さらに驚いたことに、6 月上旬というのに、線路の上に堆積しているのは主に雪であった。沢のある斜面側から線路上を見下ろしているが、沢を越える小橋梁の上に雪がてんこ盛りである。
斜面の反対側は川となっており、線路全体に雪が堆積していたため、これ以上進むことは危険であった。
この先に目指す押角隧道は存在するものの、目の前で指を咥えて眺めることしか出来なかった。
実は隧道脇には小さな滝もあり、周囲の森の眺めと相まって大自然を満喫できる雰囲気であった。当ブログの写真は全てそうであるが、特に次の写真は無駄にでかいのでぜひクリックしてご覧頂きたい。あまり大きい声では言えないが 2007/09/24 撮影である。
土砂崩れが発生しているものの、堆積している雪が溶けて無くなれば再びこの眺めを見れるはずである。道路化前にぜひとも再訪したい。道路化にあたってはこの滝もどうなるか少々不安に感じる。
南口坑口は特段異常も無く無事であった。ただしレールは錆つき、路盤上には草が生え廃止の現実をまざまざと意識させられた。今回は坑口までは近づかず手前の堺の上踏切から眺めるだけにとどめた。
ちなみに、かつてはこのような光景であった。2007/09/24 撮影。
もともと路線としての計画は古くからあったものの第二次大戦時に戦時物資であった耐火煉瓦の原料である耐火粘土が沿線で産出されていため貨物線として建設が始まり、順次線路を伸ばしていったものの当初計画の終点まで到達出来ないままに盲腸線として屈指の閑散路線となり、土砂崩れを経てお別れのセレモニーの無くそのまま廃止という涙無くては語れない数奇な生涯を過ごした路線であった。
東京なんぞに住んでいる者なので地域の交通機関としてどうこう言える立場では無いが、地域の発展に寄与してきた鉄路が失われるのは誠に寂しい限りである。せめて道路化前に必ずや再訪し岩泉線としての鉄道の痕跡をこの目に焼き付けたい。
現役当時と今回の訪問時の様子はいずれ
GNR にて紹介したい。いつかきっと...
最後に今回の訪問を実現してくれた皆様には感謝に堪えない。ただの酔っ払いとして同行させて頂いたが忘れられない貴重な時間を過ごせたことに感激することしきりである。ありがとうございました。